こんにちは!なないろです。2015年に私は声帯ポリープの手術をしました。
あくまで私の場合の体験談なんですが、同じようなことで悩んでいる人のために声帯ポリープ体験記をまとめることにしました。
同じ病気でも症状などは人それぞれですし、考え方も色々だと思います。あくまで「なないろの声帯ポリープ体験記」として読んでくださると幸いです。
最初に違和感を感じだした症状
私はカメラスタジオで働いていました。お客さんのほとんどは子どもでお誕生日や七五三などの撮影を毎日している日々だったんです。
毎日普段の喋り声より高め、大きめを意識して撮影中は常にハイテンションで子どもをあやして、撮影が終わればモニターに写真を写しながらの商品説明。
とにかくしゃべり続ける職場だったんですね!そんな仕事が好きだったし、店長までさせてもらえることになりますます張り切りだした2011年の冬頃から声がなんとなく声がハスキーになったかな?と感じだしました。
しかし、毎日喋っているわけだしちょっとくらい喉に負担はかかるよね!と、自分を納得させてのど飴常備で仕事をするようになっていました。
最初に感じた違和感は本当に少しの「声枯れ」のみ。咳などもなかったし、痛みもありませんでした。
それから2015年までの3年とちょっとの間、私の声はどんどん枯れていきました。
けど痛いわけでもない!喋れないわけでもない!と思い病院には1度も行かなかったんです。その間に自分でも実感していたし、周りにも良く「風邪ひいたの?」と言われる程の声枯れをしていました。
日を追うごとに増えていく症状
それから特に病院に行くことはせずに日々過ごしていくなかで、少しづつですが喉に関する違和感や症状が増えてきました。
- 声が枯れてきた
- カラオケで昔は歌えていた音域の声が出なくなった
- 喋っていて息を吸うまでの感覚が短くなった(息がもたない)
- 咳払いが増えた
- 痰が絡む頻度が増えた
- 裏声が掠れて出なくなった
- 自分が思っているよりも大きな声で喋りださないと掠れて声が出ない
このような症状が持続的に続き日増しに強くなっていました。
[ad#co-2]病院へ行こうと思ったきっかけ
そんな違和感を3年間も以上、分かりながら放っておいた私ですが、2013年に出産し、産休ではなく職場を完全に退職しました。
退職した理由のひとつに喋る職場を離れれば声の枯れも喉の違和感もそのうち治まるだろうと思っていたということも含まれていました。
そして退職してから以前ほど喋る事のない生活が始まったにも関わらず一向に治る気配がなかったんです。
妊娠中ということもあり外出時はマスクを付けたり喉に優しい生活をしていたのですが、退職前と喉の状況は変わらないまま出産、育児が始まりました。
そして最初に本当に喉が何かしらの病気かも?と思うようになってきたのは、子どもの成長記録として撮影していたビデオに入っていた自分の声が枯れすぎて聞き取りずらくなっていたこと、子どもが大きくなるにつれて絵本などを読むようになってきて、子ども用の短い絵本なのに一息で読めずに1行ほどで息継ぎをしていること。
この2つの気づきです。客観的に聞いた自分の声には驚きを隠せませんでした。
そこから「喉、声枯れ」や「喉、酷使、病気」など様々なキーワードで検索をするようになってきました。
行きついたのが「声帯ポリープ」「喉頭がん」の2つでした。素人判断では何の病気かなんて分からないし、病院に行くしかないんだと思い子どもを連れ近所の耳鼻咽喉科に足を運ぶことにしたんです。
後から知ったのですが、最初のうちだったら喉の安静で治ることもあるらしいんですが、私の場合はどんなに喉を休ませても自力では治らない程のポリープになっていたので壮絶(私的に)な治療の始まりでした!
やっと重い腰を上げ病院に行く決心をしたなないろ。これから初めての手術!初めての入院!と初めて尽くしな日々が始まりました。
少し長くなってきたので診察から病名が付くまでを次回のブログで書きますね!
この体験記が少しでも悩んでいる方のお役に立てればと思います!
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